出産後は、フルタイムで働き残業もこなし、バリバリ働いていた私ですが、今から思えば異変は少しずつ起きていました。
35歳を過ぎたころから、左肩から左手の小指まで左腕全体がしびれて重くて動かなくなったり、勤務中や自宅で過呼吸を起こしたり。
仕事と育児の両立はもちろん過酷でしたが、当時は両親とも同居していたので、旦那と両親との軋轢に板挟みになって、職場でも家庭でも仲裁役を務めることを余儀なくされ、心身共に心から寛げる場所や時間が、その当時はなかったように思います。
結局両親と別居し、仕事も比較的楽な職場へ変わり、一時は全てが順調に幸せにいくかに見えました。その時が仕事と家庭のバランスも丁度程良くとれていて、人生で一番穏やかな時期だったかも知れません。
でも人生は甘くありませんでした。
リーマンショックが起こり、当時派遣社員だった私は、いきなり仕事の契約を終了されました。先方から契約を切られるという経験は、人生でこの時が初めてでした。
私は自分の仕事ぶりに多少なりとも自負を抱いていたので、職場に必要とされる仕事をやり、貢献していれば、契約でも簡単には切られることはないと信じていました。
今から思えば、何て甘ちゃんで能天気な考え方をしていたのだろうと思います。
共稼ぎでないと生活できないため、求職活動を必死にやりましたが、世界的に不景気な中で、30代後半で子持ちの女性にはろくな仕事は見つからず、せっかく仕事についても職場環境が劣悪だったり、いつ契約が切られるか分らない不安の中で、働かざるを得ませんでした。
忘れもしない、東日本大震災が起きたちょうどその頃です。
震災のショックもあったのでしょうか。私の体には次々と異変が起こりました。
37度台の微熱が1カ月以上下がらず、全身は鉛のように重くてだるく、毎日鎮痛剤を飲んで、体を引きずって出勤していました。
喉の痛み、筋肉痛、関節痛、吐き気がするほどの頭痛、食欲不振、不眠、作業能力の低下、めまい、ふらつき、息苦しさ、下痢・・・もう数え切れないほど、ありとあらゆる不調が私の全身を襲いました。
私の様子を見るにみかねた旦那が会社に訴え、仕事を休み、退職しました。
初めは膠原病を疑い、専門病院で精密検査を受けたのですが、一切何の異常も認められないと言われました。
今可能な検査の数値的には、何の異常もないと医者は言いました。
なのに私は家から出歩くこともままならないほど、実際に体がつらくて動けない。
では、私のこの異常に苦しい状態は何なのでしょう?私の仮病だとでも?
内科的には異常がないので、心療内科を受診するよう勧められました。
仕方がないので、自宅近辺の心療内科を受診しました。
初めの診断は、「パニック障害」「全般性不安障害」「軽度のうつ病」でした。
抗うつ薬を処方され、治療が始まりました。
最初のうちは、産後うつのときのように、数か月で良くなるのでは?とたかをくくっていました。産後の時の様な、全く無感情になるような精神症状ではなく、身体的なつらさが症状のメインだったからです。
でも、ここからが、長い長い病気との付き合いのスタートになったのです。