双極性Ⅱ型障害とCFS~病気を抱えてぼちぼち生きる!

仕事・結婚・出産・子育てと仕事の両立・・・と走り続けていたら、40代になって急に動けない体になってしまいました。

きっかけは・・・出産?

初めての子供が生まれて、最高にHAPPYだったはずの瞬間から4ヶ月後、私は実家へ戻って育児を母に手伝ってもらわないと、何も出来ない体になっていました。

 

28歳で妊娠、29歳で出産、妊娠中はつわりも軽く順調で、元気はつらつな妊婦ライフを過ごしました。出産予定日2か月前までフルタイムで仕事もしていました。

職場の方々にも祝福&体調を気遣って頂き、初産で早期破水ながらも安産で出産し、我が子を胸に抱いた時の至福感は忘れられません。

私はただただ早く産みたくて必死でしたが、主人は3時間立ちっぱなしで出産に立ち会ってくれ、とても感動的な瞬間でした。

 

産後は1ヶ月間だけ実家に里帰りし、2ヶ月目からは自宅で子育てを始めました。

必ず母乳で育てるんだ!と初めての育児にやや気合も入りすぎており、未経験で不安な面も沢山あったのだと、今から思えばそう感じます。

 

でも当時はただもう毎日が慣れないことの連続で、予測不能な事態のオンパレードで、楽しむなどという余裕はふっとび、不安ばかりが募っていきました。

母乳はちゃんと足りてるのだろうか?このやり方で間違ってないだろうか?

夜泣きがひどいが何か問題があるのだろうか?

初めての出産と子育てが、あんなに手探りで不安なものだと、その時初めて知りました。

何カ月もまともに3時間も寝られない慢性睡眠不足で、情緒的にも不安定になっていきました。

そんな毎日に追い打ちをかけるように、仲良くしていたママ友のとても元気だった女の赤ちゃんが、乳幼児突然死症候群で、急死しました。

私は大変な精神的ショックを受けてしまい、我が子があまり長く静かに眠っていると、ちゃんと息をしているのかと心配で、夜中に起きて確かめてしまう程でした。

 

体と精神の過労状態が数か月続いていたある時から、感情がひどく不安定になり、息苦しさや過呼吸を起こしたり、夕方に強烈な眠気に襲われて授乳中に寝込んでしまったり、日常の家事や育児の手順がぱっぱと出来なくなっていきました。

 

実家へ帰らせてもらい、母に助けてもらうことになったのですが、私の状態はどんどん悪化していきました。5分前に言われた事も思い出せない。お風呂に入るのにも、どうやって入るのか、ゆっくり手順を考えながらでないと入れない。ものすごく疲労しているのに食べられない。眠れない。育児どころか、まともに自分自身の世話さえできない状態になりそうでした。

 

眠れずに一人起きていた夜中に、「ひょっとしたらもう、自分でトイレさえ行けない状態になってしまうかも。母親のくせにまともに育児も出来ないなんて・・・」

ものすごい絶望感と恐怖感に襲われて、気が付いたら私は台所で包丁を握りしめ、手首に刃を当てていました。

 

でも何故でしょう。何故だか私はそこで踏みとどまることが出来たのです。

母に頼むから病院へ連れて行ってくれと懇願し、ただ事ではないのを察知した母が、心療内科のある病院を手配してくれたのでした。

 

そこで、あなたの状態は「産後うつ病」と呼ばれるものですよ、と教えられたのです。

そんな病気があることすら、その頃の私は全く知りませんでした。

当時は今ほど「うつ病」という言葉も世間的に認知されていませんでした。

 

とにかく服薬して、何もせず休むしかない。

薬の影響があるので、母乳もあげられない。

母親として何も出来ない自分が非常に情けなく、実母に心配をかけて、赤ちゃんの世話と自分の世話をお願いして、甘えさせてもらって過ごすしかなくなってしまいました。

 

楽しかった妊婦時代には想像もしていなかった産後の地獄でした。

幸い私は3カ月程度の服薬で劇的に回復し、心療内科のお医者さんにも驚かれました。

「ここまで早く治ったのは、薬の力だけじゃない。あなた自身の力が治したのですよ。」とお医者さんが言って下さったことを、今でも覚えています。

 

家族の全面的な協力やサポートあっての早期回復だったと、今でも思っていますし、大変だったけどこれも経験、一時的なもので良かった!

 

数年前までは、本当にそう思っていたのです。

これはたまたま一時的な状態で、もう完全に治ったのだから再発することなどないと、信じていたのです。

 


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