昔は躁うつ病と呼ばれ、現在は双極性障害と呼ばれる病(或は脳の障害?)にとって、治療とは何なのか?目指すゴールはどこにあるのだろうか?
子供時代を振り返ると、確かに好き嫌いや得意不得意は極端な傾向があった。
双極性障害と思われる有名人は、結構存在するという。
私が思うに、芸術であれ文学であれ何であれ、何かの分野に秀でている人は、人より突出した部分があることの見返りとして、何かが或は脳のどこかが大きく欠落している部分を抱えている人が多いように思える。
自閉症の一種でアスペルガー症候群の人達が、その典型とも言える。
脳は本当に不思議な器官で、一つの箇所が故障すると、他の部分でその機能を補ったり、回路に不具合が出ると、別の回路がちゃんと形成されたりする。
それは、脳出血で倒れて、右半身が全く自由に動かせなくなった母の、懸命なリハビリとその成果を見ていて実感した。
70代の母であっても、時間をかけてリハビリをやると、失われた機能が完璧ではないものの回復してくるのだ。人間の復元力というか、回復力はすごいものだと驚いた。
私事で恐縮だが、我が旦那はプロの画家なのだが、素晴しい絵を描く才能と引き換えなのか、私から見てかなり脳の使い方が偏っている人間だ、と思える。
画家としてはそれでいいが、社会性に欠けるし協調性もあまりないので、会社勤めは絶対無理だろうな、この人、といつも思う。
まさに画家に成るしかなかったというか、画家になるべくしてなったというか・・・もし画家でなければただの社会性が欠如した、痛い人かニートになっていたかも。
自己中で思い込みが強いのは、そういう性格や生育環境の成せる業かも知れないが、例えばいったん描くことに集中し始めると、それ以外のことはどうでもよくなり、全ての集中力や感性や脳のエネルギーのベクトルみたいなものが、その一点にのみ向けられる。
それ以外の日常的な些末なことや、他人への配慮とか気遣いとか、そういう高尚な感情は全く機能しなくなる。まるで一部の回路をシャットダウンしてしまうように、他人とのコミュニケーション能力が極端に不全になるのだ。家族に対しても。
本人はそれでいいのだが、周囲はかなり大変な思いをするだろうことは、ご想像して頂けるだろうか?
彼はうつにはならないが、神経質で良く胃を痛める。
結局自分の一番弱い所が、過労やストレスその他で病気になったり、不具合を起こしたりする訳で、私の場合はたまたまそれが「脳神経」であり「脳内環境がストレスの影響を受けやすい身体」だったから、今の病を発症してしまった、ということだと思う。
双極性Ⅱ型障害とは、必ず治療し、精神状態をある一定の範囲に安定させなければいけない病気なのだろうか?
ベートーヴェンの生涯は、病のせいもあって苦しみの連続だったかも知れないが、だからこそ素晴しい音楽が生まれたとも言えないだろうか?
彼が適切な治療を受けて、気分を安定させて普通に人生が過ごせていたら、彼の人としての人生は幸せかも知れないが、人の心を揺さぶるような、後世に残るような名曲は創作できなかったかも知れないと思ったりするのだ。
どこまでが本人の個性の範囲で、どこまでいくと病的と判断されるのか。
誰がその良し悪しの判断を下すのか。果たしてその判断は正しいのか?
この病(障害)の治療が目指す理想的なゴールは何なのだろうと最近考える。
貴重な個性を持つ人間が、その創造力を何かの分野で発揮する前に、社会が要求する「こうあってほしい人間のあり方」の範疇に、その人の個性を押し込めてしまうことに繋がる危険性もあるように思う。
その方が、社会にとっても家族にとっても、やっかいなことがなく、安心出来るから。平凡でいいから振れ幅の少ない人間でいてくれた方が、扱いやすいから。
この話は、自分の過去を振り返りつつ、しばらく考えていきたいと思っている。