双極性Ⅱ型障害とCFS~病気を抱えてぼちぼち生きる!

仕事・結婚・出産・子育てと仕事の両立・・・と走り続けていたら、40代になって急に動けない体になってしまいました。

別居の決断・・・そして1年が過ぎた今

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2016年は激動と苦難の連続でした

一旦修復しかけた家族関係が、私の急病と夫の対応のまずさで再び悪化。

しかし夫の態度や言動のモラハラ的なひどさは、私の3回目の再発時から始まっていたので、夫の中でももううんざりだという気持ちが募っていたのでしょう。

 

2016年は、息子が高校受験でただでさえ大変な中、自身の急病を乗り切ったと思ったら今度は息子が学校で体育の授業中に骨折して急きょ入院に。

 

右膝の骨折で全身麻酔し、ボルトを入れる手術となり、もはや自分の体調が悪いとか言っていられる余裕はなく、夫不在の間何とか薬でもたせて病院や学校など対応に追われました。

 

受験前の大切な秋に長期入院と手術、退院後も車椅子と松葉杖で登校、通塾、連日病院へ通って消毒や経過観察、リハビリが続きました。

 

私達夫婦のいざこざが息子にも影響してしまっての怪我なのかと感じ、精神的にもかなり参っていました。それでも毎日車椅子を積んで運転し、送迎やら一人でお風呂にもはいれない息子の介助など、文字通り嵐のように大変な日々でした。

 

父や友人、学校や塾の先生方、病院とリハビリの先生方など、周囲の励ましと協力に母子共々支えられて、息子は何とか自分で歩けるまでに回復し、無事希望の高校にも合格することが出来ました。

私も身体的・精神的にギリギリの状態でしたが、息子の頑張りを励みに何とか乗り切ることができ、夫も帰国して出来る限り送迎を担当してくれ、ようやくほっと一息ついたのです。

 

二度目の交通事故と別居の決断

しかし、数か月の無理がたたったのか、ある雨の日に息子を学校へ送った直後、不運にも登校中の小学生に進路を阻まれ、ほんの少し車を後退させた際に後続車と接触事故を起こしてしまいました。

 

1度目の事故から半年程度でまさかの2度目の事故。

当たった個所すらはっきりしない程度の軽い追突事故でしたが、疲労とショックと情けなさで私は不覚にも現場で泣いてしまいました。

 

今回は夫に頼らず、自分で運転して帰宅できましたが、当然夫からは不要不急の運転は極力しないように言い渡されました。

どうしても運転が必要だった時、その時は体調が安定していたので少しだけ運転したと言ったら、「アル中の人間は必ず自分はアル中じゃないから大丈夫だと言う。お前も同じで病気の人間が自分で大丈夫など判断てきるはずがない」と言い放たれ、自分はアル中患者と同じレベルの扱いなのかと情けなく、悔しく、腹立たしくて、でも事故を起こした身では何も言い返せませんでした。

 

心の中には、一度目の事故は半分以上は夫のせいで引き起こされたんじゃないかという不満もあり、夫不在の間どれだけ私が孤軍奮闘して息子を支えていたか、そのことに対する労わりも感謝もなく、二言目には仕事が忙しいからとしか言わない夫。

話し合いたいことがあっても、コミュニケーションを取りたくても、時間がない。機会がない。話せばお互いに後味の悪い会話にしかならない。

数年前から亀裂の入っていた夫との信頼関係は、少しずつ確実にボロボロと崩れていき、私は別居と離婚をいつしか真剣に検討するようになっていました。

 

一つには一連の事件を通して、息子が私以上に夫の態度や言動に憤りと怒りを感じており、反抗期を通り越して父親を人間的に軽蔑するようになっていったことです。

今までも父親への反発が強かった息子でしたが、これまでは私が緩衝材のように二人の間に入って、お互いの良い面にも目を向け合うよう、調整係を努めていました。

 

しかし私自身の忍耐力も体調も限界になり、息子に対して夫の代弁は出来なくなりました。相変わらず自分の行為の正当化ばかりを繰り返す夫と息子の度重なる衝突に、息子は高校入学直後の心労も重なって、精神的に不安定な様子を見せるようになり、このままでは不登校になりそうな状態で、私はもうこれ以上この環境で暮らし続けることは不可能だと思いました。

 

経済的な余裕もない中、悩みに悩んで別居を決断し、実行しました。表向きは息子の通学上の便利の為と言いながら、実際には離婚を視野に入れた別居の決断でした。

 夫もまさか本当に家を出るとは思ってもみなかったらしく、当初はどう対応したらよいのか戸惑っていました。

 

経済的にも身体的にも大変な状況なのに、私は不思議と開放感や安堵感に包まれていました。自分で思っていた以上に、夫と暮らしている時に感じていた支配・監視・精神的なダメージを受け続ける事の苦痛と不安から、やっと解き放たれた思いでした。

 

お互いに距離を置いて冷静になり、これまでのことを見直し、今後について考える時間を持てることも重要だと思いました。彼は彼で心に溜めていた不満や不安、病気なのか障害なのか良く分からない状態の妻を支える苦悩など、きっと色々言いたい事もあったでしょう。別居することで、彼の負担も少し軽減されてお互いに楽になれると思っていました。

 

離れてみたら自分の心境や体調に変化があるかもしれない・・・。

今後夫と関係を修復できるかどうかの見極めも、自分の気持ちもはっきり確認出来るだろう。息子は別居で元気を取り戻し、高校生活にも新居にも慣れてきて、母子家庭だというのに平和で楽しい毎日が続きました。

 

そして今、別居開始から1年が経過。私は新たに一つの決断を下したのです。

 

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家族の絆が壊れるとき

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脳の障害は、目に見えない。その苦しみの深さや不安感も、周囲にはどうやっても伝わらない。家族でさえも。

 

突然発症した「左椎骨動脈解離と動脈瘤」は、2週間の絶対安静状態と、1か月間の観察期間を経て、再度MRIを撮った結果は血管が修復してきており、問題ないとのことでした。

 

とりあえず安心できて、大事に至らなくて本当に良かった!・・・と、素直に家族と共に喜んで終われるはずだったのですが、ここで事件が起こりました。

 

まず、検査当日に隣の市まで車で送迎してくれるはずの夫が、なぜか当日の朝になって急に布団から出てこなくなり、「今日は病院まで送ってくれる予定だよね?」と声をかけても動く気配なし。

 

送ってもらう予定で準備していたので、今から電車に変更しても予約時間に間に合わない。私はまだ完全には復調しておらず、判断力も悪かったと思いますが、仕方なく自分でゆっくりと車を運転して病院へ一人で向かいました。

 

検査後、帰宅しようとしたら段々と具合が悪くなってきて、どうしようかと思いながら、少し休んでゆっくりと運転をしていたのですが、自宅への帰路で渋滞にはまり、猛烈な眠気に襲われてしまいました。

今から思えば「筋弛緩剤」を飲んでいたことを忘れていて、それが強い眠気の原因だったように思います。

気がついたら意識が瞬間はっと消え、目が覚めたら車が遠く離れているのに気づいて、自動車を止めないと、と思っても2車線の大渋滞で止める場所もなく、気がついたら前の車両に軽く追突してしまっていました。

 

運転免許を取得してから、人生で初めての運転事故。かなりの精神的ショックを受けて体調も悪く、私は半分フラフラ、半分パニックで夫に電話をしました。

 

夫からの指示は、自分で損保会社に連絡して指示を仰げとのことでした。

私は自分の状態を伝えて、連絡も運転も出来ない状態なので、迎えに来て欲しいと頼みました。

 

どれくらい時間が経ったのか覚えていませんが、夫は迎えに来てくれました。

来てくれてありがとうと伝え、とりあえず帰宅しました。

 

私が全て悪かったのか?自己弁護だけを繰り返す夫の姿に、情けなさがこみ上げた。

 

私は動脈解離になったことを、父には伏せていました。母の介護だけで疲れ切っている父に、これ以上余計な心配をかけたくなかったからです。

 

その父に夫は私を迎えに行く車を借りようと電話で連絡し、私が隠していた病気の件を教えてしまったようです。

私が運転事故を起こしたことを知った父が、なぜそんな状態の娘に一人で運転させて病院へ行かせるようなことをするのだと、夫を叱り飛ばす状況にもなりかねず、秘密にしていた病気もばれてしまうのに、なぜ父に連絡するのだと、少し強い口調で夫に言いました。

 

すると今度は逆切れして、いかに自分が事故現場まで迎えに行くのに苦労したか、大変だったかを延々と語りだし、お前は俺の苦労を何も分かっていないと、私をなじりだしました。タクシー代が4千円もかかったとか・・・。聞いていてどんどん情けなさと腹立たしさが募っていきました。

 

そもそも予定通りに病院へ送迎してくれていれば、このような事故も起こさずに済んだはず。ふらふらの妻を一人で運転させるような真似をしておいて、自己正当化ばかり。妻に申し訳ないの一言もなく、血圧をあげてはいけない状態なのに、私はこめかみを血液がざっこざっこと流れる音が聞こえるくらい、頭に血が上っていました。

 

家を飛び出て、塾から息子が帰宅するのをコンビニの前でずーっと待って、一緒に帰宅しました。一人ではとても家に帰る気になれませんでした。

 

家族の絆って、役割って何なのでしょうか?お互いに何か大変な事が起こった時(今回は特に命に係わるような病気をして弱っている時)に、自分の事より相手の心配をして、出来る限りの助けをして、お互いにサポートし労わり合うのが家族だと、私は信じていましたし、夫からもそういう態度と言動が当然与えられるものと思い込んでいました。

 

その結果が、これでした。

人間は困難な状況の時にこそ、その人本来の人間性が見えるものだと思います。

私は少しずつ、こういった事態の積み重ねの中で、絶対的に信頼していた夫への気持ちに、その絆に亀裂が入っていくのを感じていました。

 

私が普段は元気そうに見える時でも、そのために陰で精神安定剤と鎮痛剤をほぼ毎日飲んでいる事実を夫は知らない。元気だから、病人でないかのように扱われる。

体調が悪くなって動けなくなると、あれは出来るのにこれは出来ないのかと、まるで私が大げさにふるまっているか仮病でもあるような、物言いをする。

 

調子が良くても悪くても、私は未だに服薬を続けていて体調が安定せず、さっきまでは笑っていても、数時間後には吐き気がして寝込んでしまう。

そしてそんな自分が情けなく、腹立たしく、絶望的な気持ちになる。

 

見せられるなら脳の中をみせたいし、可能ならば私が背負っている苦しみや痛みを感じる体験をさせてあげたい。

 

でも実際不可能だし、私だって夫の全ての心情や体調を理解できている訳ではないのだから、それはお互い様。それは私も仕方が無いことと分かっている。

 

でも、あの時、あの瞬間、もう少し違う対応や言動をしてくれていたら?

もう少し思いやりのある態度や申し訳ない気持ちを表してくれていたら?

病院へ連れて行くという約束を、ごく普通に守っていてくれていたら?

 

私が余りに体調不良でいることが常態になってしまって、夫の感覚が麻痺してしまったのだろうか?それともいちいち心配し続けることに疲れ果てて、嫌気がさしてきたのだろうか?

 

私の抱える障害は、家族のささやかな幸せすら壊していくのかと、切なく、やりきれなく、寂しく、失望感と孤独感を抱えて過ごすしかない日々が続いていました。

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ブログ再開。まだ何とか生きています。

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数年ぶりのブログ再開。様々な出来事や生活の変化が訪れました。

 

本当に本当に、長らくブログを更新していませんでした。

 

なぜ今、再開する心持になったかというと、時々届くはてなからのお知らせに、まだ私のブログを読んで下さっている方々がいるという事実を知ったことがあります。

 

こんな独白めいたブログに、今でもアクセスして下さる方がいるということは、少しでも私が書き続けてきた内容や経験した出来事が役に立っているのだろうか?と、思えたことです。

 

また、同様の症状に苦しんでいる方々がそれだけいて、救いや知識を求めてたまたま私のブログに辿り着かれているのだということでもあるのかと。

 

個々人の置かれている状況は様々ですし、我が家は少し特殊な状況を抱えていますので、どこまで他の方々の参考になるかは分かりませんが、こうした障害を抱えて生き延びている人間の一例として、出来る限り日々の状況を記録していこうと思っています。

 

症状には大きな好転はありません。ですが、私を取り巻く状況は変化してしまいました。

 

最後にブログを更新した2016年。その年のゴールデンウィーク頃に、私の体に異変が起きました。

普段から頭痛と吐き気はセットで日常茶飯事だったのですが、通常とは違う激しい頭痛に見舞われました。

 

頭の左側だけが、まるで金属の枠でもはめられて締め付けられているかのような、我慢できない頭痛が数日続き、市販の鎮痛剤を何度飲んでも効かない状態。

これはさすがにおかしいと思い、脳神経外科を受診してMRI検査を受けました。

それでもこれは片頭痛か何かだろうと思っていたのですが、何と診断された病名は「左椎骨動脈解離」でした。

 

脳へつながる動脈が剥がれて出血を起こしており、動脈瘤が出来ていました。

診察時の血圧は上が140を超え、下も100を超えており、自分が高血圧などという自覚は全く無かったため、その時は驚愕しました。

 

医者には、もう少し大きい動脈瘤だったら入院して手術だと言われました。とりあえず服薬しながら2週間の絶対安静を言い渡され、自然に血管が修復するのを待つしかありませんでした。

 

もし病院へ行かず検査も受けず放置していたら、クモ膜下出血を起こして倒れていたかも知れないと聞き、心底ぞっとしました。まさか自分が40代半ばでそんな事態に陥るとは、全く想像もしていませんでした。

 

旦那は海外出張中で頼れず、とりあえず最悪の場合の入院準備だけは整えて、中3の息子にも何かあれば代わりに病院へ連絡してくれるよう頼んで、毎日を恐々乗り切る日々が続きました。

 

絶対安静を言い渡されてから、約1ヵ月。幸い動脈瘤は破裂することなく、無事に血管も修復していることをMRIで確かめることができ、最悪の結果は免れたことに心底感謝するとともに、年齢的にも何があるか分からない時期に差し掛かっているのだと、改めて再確認しました。

 

毎日が不調の連続で、身体症状が悪いことが常態なので、余りにも自分の体からのサインを受け流していることへの警告だったかも知れませんね。

 

これでめでたしめでたしで終われば良かったのですが、この病気がきっかけで我が家の家族関係は修復が不可能な程に壊れていくきっかけとなってしまったのです。

 

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春が来た、のか?

体の痛みや不調は続いていますが、なぜだか不気味なほど心は前向きで元気です!

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秋から冬にかけては、躁状態にはほとんどならないのですが、久しぶりに精神が高揚した状態が続いています。

本当に久しぶりのブログ更新です。

というのも、10月に仕事を辞めるほど体調が悪化して以来、精神的にも肉体的にも、そして経済的にもかなり苦しい状態が続いており、ブログを書く余裕などありませんでした。

 

新年が明けた時、気分を新たに気力・体力を取り戻そう!と意気込んでいたのですが、ひょんなことから旦那との仲が険悪になって別居一歩手前までいったり、息子が不登校になりかけたりと、一時家族が空中分解しかけていました。

 

奇跡的に息子がかすがいになって、旦那とも和解し、家族は再び明るさと落ち着きを取り戻したのですが、今回は本当に最悪の事態を覚悟しました。

障害を抱えながらシングルマザーとして生きていく覚悟をしなければ、というところまで追いつめられた気持ちだったのですが、やはりお互いの気持ちのすれ違いやコミュニケーションの不全が問題だったのだな、と、冷静になって振り返るとそう思います。

 

身体の方は喘息症状が出たり、扁桃の炎症が収まらなかったり、ひどい頭痛や半身の痺れに襲われたりと、相変わらず全身の不調と苦痛に四苦八苦対応していますが、今回の大嵐を家族一緒に乗り切ったことで、ほのかな希望の光が見えてきた心持です。

 

本人も、家族も、無理して全てを背負いすぎてはいけない。自分で自分を追い詰めないことが一番大事。

 

薬の力や鎮痛剤で体の痛みや不具合をごまかして、毎日一見元気に振る舞っていても、やはりそこには何かしら無理が重なっていたのでしょう。

何でそんなことをそんなタイミングで言ってしまったのか、後から何度考えても、自分でも良く分からない。

まるで別人格が突如出現したかのように、イライラした感情やきつい言葉を旦那に投げつけてしまったり。部屋で物を壁に投げつけたり、破壊衝動が湧き上がってきて止められなかったり。(実際には破壊行動まではいきませんでしたが・・・)

 

普段の私は、そこまで感情的になることは滅多にありません。

これも躁状態の一種なのかな?と、少し怖く感じました。

 

あるいは、躁とうつの混合状態だったのでしょうか?専門家ではないので良く分かりませんが、非常に苦しく不可解な精神状態でした。

 

躁状態といっても、気分が舞い上がるように素晴しい訳ではなく、湧き上がる衝動や抑圧された狂暴な感情の嵐を制御できずに苦しくて、どうしていいのか、どこにぶつけたらいいのか分からない、という症状もあるのだな、と実感しました。

 

長いうつ状態の反動かも知れないし、思い通りにならない身体や人生へのやるせない思いが積み重なった結果かも知れません。

自分自身への失望や、それでもなお生きたいとあがく感情が、はけ口を求めて一番身近な家族(=旦那)へ向いてしまったのでしょうか?そう思うと、ずっと支えてくれている旦那には本当に申し訳なく、それでも全てを受け入れて見捨てずにそばにいてくれることは、心から有難いことだと思いました。

 

双極性障害を抱える本人も、それを支える家族も、それぞれが悩みや苦しみを抱えていて、現実の生活や家計を支えながらお互いの精神面も支えなければならないとなったら、深刻に考えれば考えるほど頭がパニックになり、神経がまいってしまうでしょう。

 

無関心に突き放し過ぎてもいけないし、相手に同調し過ぎて巻き込まれ、共倒れになってもいけない。この障害と付き合っていく本人と家族が、いつもこのことを念頭に置いてお互いをサポートしていく必要があると実感しています。

 

これからは決して無理しない。焦らない。でも全てを諦めることなく、今後の人生に希望と身近な目標を抱いて毎日を過ごしていきたいと思っています。

旦那とは夫婦共通の目標を子育て以外にも共有して、お互いに相手に過剰な期待をし過ぎずに(笑)、何でも話し合いながら(なるべく感情的にならないように)上手くやっていけたらいいなと考えています。

 

息子は4月から中3になり、高校受験の準備が本格的にスタートします。

部活に勉強に忙しい中を、買物や家事の手伝いをしてくれたり、私が苦しい時の精神的な支えになってくれていて、息子には心から感謝しています。

 

私の体調や精神状態が不安定になり、家族の雰囲気がぎくしゃくすると、息子まで精神的に不安定になり、大事な時期に余計な負担をかけてしまうので、それだけはもうしたくないと思っています。

 

今はやる気や意欲に溢れていても、明日はどうなるか分からないし、またどん底に落ち込む気分や体調の日も来るでしょう。

上がったり下がったりの繰り返しに正直うんざりすることも多いです。

 

でも、これまで積み上げてきた経験や関係は決して「ゼロ」にはならないし、マイナスをたくさん背負った分は、プラスの方向へエネルギーを逆転すれば、同じ強さでより良い方向へ気持ちや人生を進めていくことが必ず出来るはず。

 

私はそう信じていますし、信じる気持ちを失いかけてもまた取り戻して、ぼちぼちと、いまこの瞬間を大切に、日々の幸せを噛みしめながら、歩いていきたいと願っています。

 

ようやく暖かくなってきました。緑が芽吹き、花が咲き始めています。

今年もこうして冬を乗り越えて春を迎えられることに感謝して、笑ったり泣いたりしながら生きていきましょう!

春はすぐそこまで来ていますから。楽しみましょう、ご一緒に。

 

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不調の終わらない繰り返し

仕事を辞めてから2ヶ月。体調は相変わらず低空飛行を続けています。

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喉の奥の痛みが何度もぶりかえして治りません。毎日体の不具合に悩まされています。

1ヶ月たってもまだ完治しない気管支炎と喉の痛みに苦しんでいます。

うがいをしても、薬を飲んでも、マスクをしても、ダメ。少しましになったかと思うとぶり返して、また痛む。もう勘弁してくれ、って感じです。

 

ひょっとして何かのアレルギー反応なのでしょうか?耳鼻科で一応アレルギーの血液検査はしてもらって、ただいま結果待ち。しかし、検査代があんなに高いとは。。。

 

昨日受診したいつものクリニックでは、障害者手帳を初申請。手元に届くまで約3ヶ月程かかるそうです。

障害年金2級なので、手帳もおそらく2級でもらえるだろうとのことでした。

とうとうこれで、私も障害者生活のスタートラインに文字通り立った訳です。

 

エネルギーが少しでも持続する時は、家事をして、旦那の仕事を手伝ったり、本を読んだり、ネットで知り合った友人とのコミュニティに顔を出したりしています。

 

ただ日内変動がひどいので、さっきまでは比較的元気だったのに、急に気分が悪くなって動けなくなったり、ちょっと通院に外出しただけで帰宅後寝込んだりする毎日が続いています。

 

この前は、副鼻腔炎で通院。抗生物質を飲んでひどい下痢。おさまらない喉の痛み。胸苦しさと左胸の痛み。筋肉痛。神経痛。頭痛。相変わらずの早朝覚醒。もしくは過眠。思い通りに手足が動かず、コップをひっくり返したり、粗相ばかり。

 

あっちを治せば、こっちが壊れる。古くて使い物にならなくなった機械のような私の体。何だか年齢よりもお年寄りになった感じ。

 

一日でいいから、体中のあらゆる不具合から解放されて、気分も晴れやかになって過ごしたいなあ、と毎日願いながら寝ています。

 

いまはフィギュアスケート羽生結弦くんの活躍を観るのと、ネットの仲間(音楽・本好き)と過ごす時間が本当にささやかな、私のオアシスであり、癒やしと慰めです。

猫と息子もそうですね♪旦那にもなんだかんだ助けてもらってます。

家族に感謝!

 

クリスマスまでには、少しでも体調を上向きにしていきたいと思っています。

寒くなってきましたから、皆様も風邪やインフルエンザに気をつけて、暖かくしてお過ごし下さいね☆

 

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ぼちぼちリハビリ中

仕事を辞めてから早や1ヶ月。体調はまだまだ低空飛行を続けています。

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障害年金2級も無事に認定されて、経済的にはかなり助かりました。ただ、心は晴れません。

 

家計の収入を得るために、無理をして働かなくてもよいようになり、ぐっと毎日のプレッシャーは減りました。

 

でも、それと同時に何か、気持ちを持ち上げるためのモチベーションも、少し下がってしまっているように思います。心のエンジンが、かからないというか。

 

これからは、自分の体と脳には障害(私は自分をあまり病気と呼びたくないのです)があることを受け入れ、無理をしない範囲で、出来る限りのことをやっていこう。

そう考えてはいるのですが、ここ数週間は無為に時間を過ごしているような気がします。

 

気管支炎をこじらせてなかなか治らないのと、生理前のダブルパンチもあったので、まあ仕方ないか、とは思うのですが。

 

睡眠リズムが崩れっぱなしで、睡眠薬を服用しても昼起きて夜中は眠る、というパターンを作ることが出来ないでいます。

調子の悪い時は過眠傾向があるので、尚更昼夜逆転してしまいやすいようです。

 

私が夜中に起きてくるのをいいことに、夜行性の我が家のにゃんこが遊んでくれとまとわりついてきたり、寝ている私の足をかじって起こすので(笑)、かわいいけど困ってます。

 

一旦止めていた漢方薬の「十全大補湯」をもう一度飲んでみようかと思っています。

体力や免疫力が落ちている時、月経前症候群等に効くようなので。

 

もう少し体力と気力が回復したら、ヨガかピラティスを始めてみようと考えています。

リハビリ生活に焦りは厳禁!一日に何か一つでもこなせたら、自分を褒めてやる。

 

その位のゆるゆる感で、この秋を過ごせたらいいなと思います。

食欲の秋は無理そうなので、読書と運動と芸術の秋を目指します♪

 

これから寒くなりますから、皆様も体調に気を付けてお過ごし下さいね~。

 

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仕事を辞めました

何とか頑張ったこの2か月間。やはりダウンしてしまいました。

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繰り返す咽喉と気管支の炎症。抜けない疲労。薬漬けの日々。とうとう寝込んですぐに回復出来なくなりました。

 

ある程度予想はしていましたが、やはり前回と同様に仕事開始から2か月程度で体調が急激に悪化し、仕事を中途半端に辞めざるを得なくなりました。

 

ひょっとしたら、今回は何とか乗り切れるのではないか?

前回と違って服薬も毎日しているし、無理をしないようセーブもしているし、この秋さえやり過ごせれば・・・と考えていたのですが、やはり甘かったようです。

 

でも不思議とショックを受け流している自分がいました。

 

心のどこかでこうなることは分かっていたような気もします。分かっていてもあえて挑戦してみたかった。最後のあがきというか、元気だった頃の自分との決別の儀式として、ごく普通の仕事をもう一度だけ全うしたかったのかも知れない。

 

本来こうありたかった自分。こうなるべく努力してきたはずの自分。

そんな自分に心底戻りたかった。可能ならば、もう一度。

 

子育てしながら、自分の技能を活かした職場で働き、幸せな家庭を築く夢を実現したかった。初めは成功していたように思えた自分。数年前には確かに存在していた自分。

 

でも今は、どんなに望んでも体も脳もついてこない。情けなくても、哀しくても、諦めざるを得ない自分がいる。それが現実。気がついたら、涙が溢れていました。

 

全てを失ったわけでは決してないけれど、昔の私は40歳のあの日に一度死んでしまったのだと、ようやく悟りました。これからは、残された力を上手く使って、新しい自分を生み出さなければならないのだと。

 

頭では理解していたことだけれど、どうしても感情的に受け入れられなかった現実。

ようやく自分を縛っていた過去の亡霊と決別し、新しい一歩を踏み出す気持ちへと心が向かい始めたように思います。

 

今はまだ車の運転も再開出来ません。自転車はようやく乗れるまでに回復しましたが、近所へ買物に出かけるだけで、すぐに気分が悪くなってしまいます。

 

両足が妙にだるくて、座っていてもベッドで横たわっていても気持ちが悪く、長い時間は立っていられません。

でも、薬の助けを借りながら、出来る範囲で家事をして、こうしてPCに向える程度にはなってきました。

 

これからは自宅で出来る仕事や、旦那のビジネスを手伝いながら、少しずつやれる範囲を拡げていきたいと思っています。無理せず、ぼちぼちと。

 

取りあえず物は食べられるし、家族は元気だし、猫はかわいいし、自分の体も何とか動いている。空は秋晴れで、月を見て綺麗だと感じ、音楽が聴けて本も読める。

 

それだけでも本当にありがたく、幸せなことだと感謝したい。

もうすぐハロウィーン。仮装はしないけれど、自宅を少しばかりデコレーションして、楽しみたいです。

日々ささやかな喜びや幸せや楽しみを、拾い集めて生きていきたいですね。

良く見れば結構落ちているものですよ(笑)。

 

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