初めて再発した時は、ある程度時間がかかっても、完全に薬を止められる位まで治ると信じていた。あの時は過労が理由の、単なるうつ病の再発だと思っていた。
基本的に日常生活が普通に出来るようになるまで、約1年かかった。
でも薬の量を徐々に減らしていくことにも成功していたし、運よく無理せずやれるフルタイムの仕事にも期間限定ではあるが、就けた。
もちろん体調を崩す日はあったし、仕事を休む事も時々あったが、それでも最低限の服用量で毎日仕事へ行けたことは、かなり自分の自信につながった。
一旦契約の仕事が終了して、失業手当を受給しながらゆっくり次の仕事を探そうと思っていた矢先に、母が脳卒中で急に倒れ、緊急入院した。
家族全員気が動転してしまい、しばらくは怒涛の日々だった。
右半身が麻痺し、まったく自由に動かせない母を見て、ショックで茫然となった。
幸い会話は出来る状態だったが、リハビリで尋ねられた動物や物の名前が出て来なかったり、小学生でも分るような簡単な動作でも、指示されたことを理解出来ず、戸惑っている母を見ていると、胸が痛んだ。
しばらく求職活動は延期し、母のリハビリ入院になるべく付き添った。
私以上に、母がいないと何も出来ない父が一番精神的にショックを受けており、そのフォローも娘である私がするしかなかった。
私自身には当時あまり自覚は無かったのだが、やはりショックと心労と、疲労が重なっていたのだろう。旦那は正直また調子が悪くならないかと心配していたらしい。
母のリハビリが思ったより上手くいき、退院した。
これである程度安心出来たので、フルタイムで仕事を再開した。
当時服薬していたSNRIのサインバルタは、私にはとても良く効いたが、減らし方が難しい薬だった(急に減らすと、頭がもやもやしたり離脱症状が出る)ので、慎重にも慎重に減薬していき、もううっかりすると飲み忘れそうになるほど、週に2回飲む程度まで減らすことに成功していた。
担当医にも、これで精神科と縁が切れるね、と笑って言ってもらっていたような状態だった。私ももうあと少しで全快だな、と信じていた。
仕事を再開して2カ月程経過した秋のこと、私は性質の悪い風邪を引き、長引いて会社を数日休んだ。
その後から、体調が信じられない位がくんと悪くなり、度々会社を休むことが多くなった。
母の脳出血性認知症が発症したと聞かされ、ショックを受けたことや、その当時旦那との関係があまり上手くいってなかったことも影響していたのかも知れない。
初めは信じられなかった、というか、信じたくなかったのだが、2度目の再発をしてしまったのだ。
あれだけの時間をかけて、努力して、忍耐して、やっとここまで辿り着いたのに。
もうあと少しで完治すると疑いもしてなかったのに。
また振り出しに戻ってしまったことは、ものすごいショックだった。
あと少しで完成するはずの美しい作品が、目の前でガラガラと音をたてて崩れ落ちた気分だった。
私は心血を注いだ作品がガラクタと化し、廃墟になった光景を、ただ言葉も無く茫然として眺めている。そんな心境だった。