双極性Ⅱ型障害とCFS~病気を抱えてぼちぼち生きる!

仕事・結婚・出産・子育てと仕事の両立・・・と走り続けていたら、40代になって急に動けない体になってしまいました。

思春期のトラウマ

時々考えるのは、少女時代の私にもう少し他人に感情をぶつける勇気があれば。そうすれば、その後の人生のあり方が、何か変わっていたのだろうかと。

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私はどちらかというと、内向的で一人遊びが好きな、感受性の強すぎる子供だった。

昔、私は自分で自分のことを「過感症」だと自嘲していた時期がある。

無駄に色々なことに対して余りにも過剰に感じ過ぎ、反応し過ぎ、心を痛めつけ過ぎる癖がある。そう感じていた。

 

でも、決して望んでそうなった訳ではなく、物心ついた時に、自分が有するそうした性質に気付いただけだ。そして、出来ることならありのままの自分を肯定して、自分が感じた事を他人と多少なりとも共有して、生きていきたかっただけだった。

 

でも、私はなかなか理解されなかった。誤解されることも多かった。

独りが好きだと思われたり、偉そうだと言われたり、勝手だと言われたり。

 

集団の輪を乱さず、納得がいかなくても大人しく従って、何でも右にならえすることが出来なかった。分からないことは受け入れられなかったし、やりたくないことは出来なかった。

 

だから、皆であの子を仲間はずれにしようといわれても出来なかった。

そうしたら案の定私も仲間はずれにされた。でも、そういう変な圧力に屈したくなかった。子供ながらに妙な反骨心のある、自己主張のはっきりした子だったと思う。

 

たぶんアメリカとか欧米の国に生まれていれば、私はごく普通の、どちらかといえば大人しい方に分類される人間で、何も問題なかったんじゃないかと思う。

日本の、それも閉鎖的で世間体を気にする土地柄に生まれたのがいけなかった。

そう思ったのは、高校2年の夏。4週間のイギリスホームステイを体験したときだ。

 

そこには世界中から来た十代の少年少女達がいて、驚く程に皆が自分をはっきり主張し、周囲を気にせず振る舞っていた。明るくパワフルで個性的な若者たちの姿が印象的だった。

 

ピアスをして、タバコを吸って、ディスコで踊る、私より年下の女の子もいた。

くそ真面目な両親に、くそ真面目な日本で、きっちり真面目に育てられた私には、カルチャーショックの嵐だった。でも、みんな気持ちの良い仲間で、いい子だった。

 

自分が今まで苦しめられていた価値観に縛られた世界から抜け出て、外から眺めてみると、自分が悩んでいたその場所がいかに狭くてちっぽけで、閉ざされた世界であるかが良く分かった。何かが心の中で吹っ切れた気がした。

 

日本を出て、海外で働こう。海外の人間と関わる仕事をしよう。

きっとそこに自分の本当の居場所がある。当時は心からそう思ったのだ。

 

その決意を貫いていたら、本当に日本を脱出して海外で暮らし、働いていたら、今のような病気を発病せずに済む生き方が出来たのだろうか?

 

IFを考えても意味がないのは分かっていても、時々考えてしまう。

他に何かより良い道は無かったのかと。

 

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