双極性Ⅱ型障害とCFS~病気を抱えてぼちぼち生きる!

仕事・結婚・出産・子育てと仕事の両立・・・と走り続けていたら、40代になって急に動けない体になってしまいました。

別居の決断・・・そして1年が過ぎた今

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2016年は激動と苦難の連続でした

一旦修復しかけた家族関係が、私の急病と夫の対応のまずさで再び悪化。

しかし夫の態度や言動のモラハラ的なひどさは、私の3回目の再発時から始まっていたので、夫の中でももううんざりだという気持ちが募っていたのでしょう。

 

2016年は、息子が高校受験でただでさえ大変な中、自身の急病を乗り切ったと思ったら今度は息子が学校で体育の授業中に骨折して急きょ入院に。

 

右膝の骨折で全身麻酔し、ボルトを入れる手術となり、もはや自分の体調が悪いとか言っていられる余裕はなく、夫不在の間何とか薬でもたせて病院や学校など対応に追われました。

 

受験前の大切な秋に長期入院と手術、退院後も車椅子と松葉杖で登校、通塾、連日病院へ通って消毒や経過観察、リハビリが続きました。

 

私達夫婦のいざこざが息子にも影響してしまっての怪我なのかと感じ、精神的にもかなり参っていました。それでも毎日車椅子を積んで運転し、送迎やら一人でお風呂にもはいれない息子の介助など、文字通り嵐のように大変な日々でした。

 

父や友人、学校や塾の先生方、病院とリハビリの先生方など、周囲の励ましと協力に母子共々支えられて、息子は何とか自分で歩けるまでに回復し、無事希望の高校にも合格することが出来ました。

私も身体的・精神的にギリギリの状態でしたが、息子の頑張りを励みに何とか乗り切ることができ、夫も帰国して出来る限り送迎を担当してくれ、ようやくほっと一息ついたのです。

 

二度目の交通事故と別居の決断

しかし、数か月の無理がたたったのか、ある雨の日に息子を学校へ送った直後、不運にも登校中の小学生に進路を阻まれ、ほんの少し車を後退させた際に後続車と接触事故を起こしてしまいました。

 

1度目の事故から半年程度でまさかの2度目の事故。

当たった個所すらはっきりしない程度の軽い追突事故でしたが、疲労とショックと情けなさで私は不覚にも現場で泣いてしまいました。

 

今回は夫に頼らず、自分で運転して帰宅できましたが、当然夫からは不要不急の運転は極力しないように言い渡されました。

どうしても運転が必要だった時、その時は体調が安定していたので少しだけ運転したと言ったら、「アル中の人間は必ず自分はアル中じゃないから大丈夫だと言う。お前も同じで病気の人間が自分で大丈夫など判断てきるはずがない」と言い放たれ、自分はアル中患者と同じレベルの扱いなのかと情けなく、悔しく、腹立たしくて、でも事故を起こした身では何も言い返せませんでした。

 

心の中には、一度目の事故は半分以上は夫のせいで引き起こされたんじゃないかという不満もあり、夫不在の間どれだけ私が孤軍奮闘して息子を支えていたか、そのことに対する労わりも感謝もなく、二言目には仕事が忙しいからとしか言わない夫。

話し合いたいことがあっても、コミュニケーションを取りたくても、時間がない。機会がない。話せばお互いに後味の悪い会話にしかならない。

数年前から亀裂の入っていた夫との信頼関係は、少しずつ確実にボロボロと崩れていき、私は別居と離婚をいつしか真剣に検討するようになっていました。

 

一つには一連の事件を通して、息子が私以上に夫の態度や言動に憤りと怒りを感じており、反抗期を通り越して父親を人間的に軽蔑するようになっていったことです。

今までも父親への反発が強かった息子でしたが、これまでは私が緩衝材のように二人の間に入って、お互いの良い面にも目を向け合うよう、調整係を努めていました。

 

しかし私自身の忍耐力も体調も限界になり、息子に対して夫の代弁は出来なくなりました。相変わらず自分の行為の正当化ばかりを繰り返す夫と息子の度重なる衝突に、息子は高校入学直後の心労も重なって、精神的に不安定な様子を見せるようになり、このままでは不登校になりそうな状態で、私はもうこれ以上この環境で暮らし続けることは不可能だと思いました。

 

経済的な余裕もない中、悩みに悩んで別居を決断し、実行しました。表向きは息子の通学上の便利の為と言いながら、実際には離婚を視野に入れた別居の決断でした。

 夫もまさか本当に家を出るとは思ってもみなかったらしく、当初はどう対応したらよいのか戸惑っていました。

 

経済的にも身体的にも大変な状況なのに、私は不思議と開放感や安堵感に包まれていました。自分で思っていた以上に、夫と暮らしている時に感じていた支配・監視・精神的なダメージを受け続ける事の苦痛と不安から、やっと解き放たれた思いでした。

 

お互いに距離を置いて冷静になり、これまでのことを見直し、今後について考える時間を持てることも重要だと思いました。彼は彼で心に溜めていた不満や不安、病気なのか障害なのか良く分からない状態の妻を支える苦悩など、きっと色々言いたい事もあったでしょう。別居することで、彼の負担も少し軽減されてお互いに楽になれると思っていました。

 

離れてみたら自分の心境や体調に変化があるかもしれない・・・。

今後夫と関係を修復できるかどうかの見極めも、自分の気持ちもはっきり確認出来るだろう。息子は別居で元気を取り戻し、高校生活にも新居にも慣れてきて、母子家庭だというのに平和で楽しい毎日が続きました。

 

そして今、別居開始から1年が経過。私は新たに一つの決断を下したのです。

 

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