双極性Ⅱ型障害とCFS~病気を抱えてぼちぼち生きる!

仕事・結婚・出産・子育てと仕事の両立・・・と走り続けていたら、40代になって急に動けない体になってしまいました。

思い描いた未来と現実

久々に気分の浮き沈みが激しい

ありがたいことに、秋から冬にかけては比較的安定した体調と精神状態で過ごせていた。

息子の大学卒業式にも出席出来た。入学式はコロナで中止だったから、感慨深かった。

 

息子を社会人として送り出すまでは、石にかじりついても生きて踏ん張らないといけない。ただただそれだけを胸に誓って必死に乗り越えて来た。

 

これでようやく大きな肩の荷が降ろせる。良く頑張った私。家族や友人の支えにも感謝。嬉し涙をこぼしながら幼かった息子の顔を思い出し、安堵していたはずだった。

 

だが、気が緩んだせいなのか、季節の変わり目のせいなのか、私の精神状態は急に不安定になりつつある。

更年期障害と思われる身体症状の悪化(手指の関節痛、急激な体重増加、自律神経失調、高血圧、代謝異常、息切れ、筋肉痛等)もじわじわと不安感不快感を煽り、神経を消耗させるのだろう。

 

愕然とした現在の自分の姿

息子の卒業式準備で、久しぶりにスーツを着用して全身が映る鏡の前に立った自分の姿を見た時、あまりにも自分の姿が歳をとり劣化している事に愕然としてしまった。

 

中年太りした冴えない顔のおばさんが、そこに立っていた。

いつもなら笑い話で済ますところだが、正直深く落ち込んだ。

10年前、20年前には颯爽とスーツを着て、バリバリ働いていた自分。名刺を持ち、責任ある仕事を任されていた自分。若さや体力は衰えても、溌剌とした姿は失っていなかったのに。

 

もうあの頃の自分には戻れないし、過去の自分は一度死んだ様なものだと分かっているつもりでいた。いたはずなのに、現実は想像以上に残酷だった。

 

私の夢は、活き活きと働く母になって、息子にいつまでも恰好いい母親だと思われる様な生き様を見せる事だった。おばあちゃんになっても、シャツとジーンズが似合う素敵な年齢の重ね形をする。そんな未来の自分を思い描いて、日々を頑張っていた。

 

そして今、その願いとは裏腹に、障害を抱えて働く事はおろか自分で行きたい場所に行く事も、やりたい事をやる事も、日常生活すらままならない自分が現実の姿としてそこにある。

 

自分は一体どこで何を間違えたのか?考えてもどうしようも無い思いが久々に噴き出し、我が身の情けなさに泣きたい気持ちになった。

 

息子の足枷だけにはなりたく無い

今の私の唯一の願いは、息子を自由に羽ばたかせてやる事だ。

 

社会に出れば、様々な困難も待ち受けているだろう。疲れたら休みに来たらいい。悩みがあれば聞くし、挫折しかけたら見守ってフォローはするが、後は彼が自分で経験して切り拓いていく未来だ。人生はまさにこれから。彼の若さが眩しくて羨ましい限りだ。

 

どうか私が落ちた人生の落とし穴に、はまる事がないように。

健康で無病息災でいてくれれば、それで良い。

出世したり有名人にならなくていい。幸せになってくれればそれだけでいい。偽らざる母としての心からの願いだ。

 

親の事など構わなくて良い。彼が遠く高く力強く羽ばたく為の翼を折る様な、重たく面倒な存在にだけはなりたくない。息子にだけは疎まれたくない。唯一無二の最愛の存在だから。

自分の父に、息子の足枷にはなるなと言われて大いに傷ついた。そんな事は言われずとも、私が一番心底から思っている事だ。

 

人生は自分の思い通りにはならない。

本人の努力に加えて、周囲の環境や時代に恵まれて自己実現し、素晴らしく充実した人生を送れる人もいる。人生万事塞翁が馬だが、健康でさえあれば、たとえ失敗しても方向転換してもやり直せる。だが健康な身体と精神だけは、失ってしまえばもう取り返しがつかないのだ。

 

どんなに仕事が大変でも、心身だけは一番大切にして欲しい。

 

これから始まる彼の人生の門出に、幸多かれと願う。

 

同じく4月から社会人となる全ての若者達にも、心からのエールを送りたい。

 

もうじき桜の季節が今年もやって来る。また一つ歳を重ねる春だ。

思い通りに動かない体でも、笑って過ごせる日々を愛しんで生きていきたい。

 

それでも人生は続く

ここまで辿り着いて下さった方々へ

このブログに辿り着き、ご縁があって最後まで読んで下さった方々へ。本当にありがとうございました。

元々自分の身に起きた事を記録しようと始めた備忘録のようなブログでした。読んでいただいた方々にとって何か少しでも参考になれば幸いです。

2024年2月現在、私はまだどっこい生きています。

 

現在の体調は波がありつつぼちぼちです

年齢もついに50歳を越え、もはや体調の悪さは病気のせいか、それとも加齢のせいか、分からなくなってきました。相変わらず服薬を続けながら毎日を過ごしています。

 

ただ、以前はパソコン画面にキーボードで文字を打ちながらこのブログを書いていましたが、今はタブレット画面で右手の中指一本だけ使って書いています。

2ヶ月程前から左手指の第二関節が小指から順に痛み始め、曲げることも伸ばすことも難しくなり、親指と人差し指以外はほぼ使えなくなりました。

右手の小指も痛み始めているので、右手まで使い物にならなくなったらどうしようと不安な日々です。

当たり前のように、両手でキーボードを打てていたのはとても有難く幸せな事だったんだなあ〜と、今更ながら実感しています。

あちこち壊れてばかりの身体で、日によってどう転ぶか分からない体調で、誰よりも当たり前の尊さを理解していたはずなのに。

人間は忘れっぽい生き物ですね。

 

現在は、双極性障害として障害者手帳二級を所持し、障害年金を受給しています。外出時は薬とヘルプマークを忘れずに持ち、ほぼ自宅と周辺の通院と買物程度の生活範囲で過ごしています。

 

調子の良い時は近隣の街まで出かけたりもしますが、毎日朝起きてみないと体調の整い具合は分かりません。

調子が良い日でもなぜか急にしんどくなったりします。こればっかりは自分でコントロール出来ません。不安感や緊張が続くのが一番良くないため、なるべく物理的にも精神的にも負担がかからない生活を心がけています。

 

一旦悪化した体調を回復させるのにトリプタノールを服用していて非常に良く効いたのですが、薬価が安すぎて採算が取れないという理由で製造中止になってしまいました。服用を継続したかったのに残念無念です。

良い薬は古くても製造し続けて欲しいです。うつ症状以外にも様々な効果があって慢性的な疼痛を和らげる効果もあったようです。

 

現在服用中の薬は、朝にサインバルタ(デュロキセチン)とワイパックス、就寝前にテトラミドとプロチゾラム(睡眠薬)で、焦燥感が強かったりテンションが上がり過ぎた時は、都度デパケン200mgを頓服薬として使用しています。

今は比較的良好な体調を維持出来ているので、このまま継続して様子見です。運動不足をなんとかしようと、体操や軽い筋トレ、ウォーキング等試みていますが、腰痛がひどくて歩けなくなったりなかなか思うようにはいかないですね。

何事も焦らずぼちぼちで、出来ない事より出来た事を数えて喜ぼうと心がけています。それでも自分自身にイラついて自暴自棄な気分になる事もしばしばです。

 

一度は別れた家族の再建中です

色々あって離婚し別居していた夫と、今は再度同居中です。

私が一時期食事がほとんど取れない状態に陥った時、驚く位献身的にサポートしてくれた経緯と、経済的な事情もあって息子が大学入学後は3人家族で暮らしています。

過去の何もかもを忘れられた訳ではありませんが、何か緊急事態が起きた時にはやはり家族のサポートが欠かせないと実感しました。両親も年老いて介護や入院等で私がサポートしなければならない年齢ですし、頼れる人や相談先は複数持っておかなければと思っています。

 

頭と体が思うように動くうちに、行きたい所へ行き、会いたい人達に会って話し、伝えたい事を伝えられる状態の間に伝えておきたい。今はそう考えながら断捨離しつつ、エンディングノートを作成しようと考え中です。

先の事は思い悩んでも仕方がないので、日々を少しでも楽しく笑って過ごしたいですね。

 

私の拙いブログを読んで下さった皆さんに感謝です。

私と同様に、或いはそれ以上に日々辛い痛みや苦しさ、精神的な辛さ、動けない身体を抱えて、どうすれば良いのか途方にくれている方々もきっと多いでしょう。

簡単な解決策も万能の薬もありません。医者もあてにはなりません。結局自分で自分を癒していくしかないのでしょう。

薬はその助けにはなりますが、直すのも悪化させるのも自分次第だと思うようにしています。

 

決して1人で苦しみを抱え込まないで下さい。

何もかもが嫌になっても、何か自分を繋ぎ止める錨(アンカー)を、ささやかでも一つでも見つけるようにして下さいね。

 

毎朝目覚める時に、今日こそは調子が良くなっているだろうと願いながら起き、今日もダメかと思う事の繰り返しでも。

 

今日一日を懸命に、出来る限り心楽しく生きましょう。

時折襲いくる強烈な不安や悪夢や、全てが無味乾燥になる恐怖と闘いながら。何とか明日も生き延びましょう。

 

人生はいつ終わるか分からないけど、それでも続いていくのだから。せめて自分にも人にも優しく、日々ささやかな幸せを感じられる様に、過ごしていきたいと思います。

コロナと生きる時代の希望と苦悩

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近江妙蓮

 全国的にコロナウィルス感染が再拡大している今、起きている事柄や自分自身について感じていること。

 

毎度のことながら久しぶりのブログ更新。とりあえずぼちぼち生きています。

 

一人息子が大学に入学したものの、コロナの影響で入学式は中止。授業は全てオンラインで、入学後一度も大学のキャンパスに足を踏み入れていないという異常事態の中、季節はとうとう夏を迎えた。

 

コロナウィルスに関しては、万が一感染したら重症化間違いなしに分類される人間なので、正直怖いし気を付けて過ごしてはいるが、ある程度諦めというかなるようにしかならないだろう、という気持ちもある。

 

息子と猫と一緒に自粛生活がしばらく続いたが、そもそも私はコロナ感染が始まる前から日常的に自由を制限された身だったので、特に大きなショックは無かった。

普段から行きたい所へ行きたい時に行くことが困難だし、会いたい人と会う約束をしても当日動けなくてドタキャンになることもしょっちゅうだから。

 

一番辛かったのは、認知症で施設に入居している母親に何か月も面会が叶わなかったことだ。今まで当たり前の様に部屋に入って、体に触れて、ハグをして、一緒に歌を歌ったり話をしたりしていたのが、今でもガラス窓越しの面会しか許されない。

いつでも会いに行けると思っていた私は、この終わりの見えない面会制限に不安と哀しみを感じつつも、顔が見られて声が聞けて、言葉のやり取りが出来るだけでも良しと思うように努めている。

 

そして私とは逆に、健康で普通に日常を過ごせていた人達が、未知のウィルスによる感染症という目に見えない恐怖と隣合せに、日々様々な制限を余儀なくされて過ごしている。それは正に、私や他の病気・障害を負っている人間が置かれている日常を、否応なく一部体感させられている様なものなのだな、と感じた。

 

当たり前に過ごしている日常が、いかに貴重で、いかに脆いか。

いとも簡単に失われてしまうか。人間は自分で体感してみないと気づけないものだから。コロナをきっかけに、本当に自分にとって優先すべき大切な事柄は何か、改めて見つめ直した人もきっと多いのではないだろうか。

 

最近の事件で考えさせられた3つの死の形。コロナ、自死安楽死

 

志村けんさんがコロナ感染で亡くなられたことは、ドリフの「八時だよ、全員集合!」を見て育った世代の私には、かなりショックで衝撃的だった。

さらにショックを受けたのは、感染を避けるために志村さんのご家族でさえ最後まで面会も許されなかったこと。

お葬式に際してさえ、最期の死に顔すら見ることが許されなかったということ。

これは残された遺族にとって余りにも酷い話だとぞっとした。

 

感染症が奪うものは命だけではないのだと。かけがえのない人との繋がりまでも無造作に奪うのだとしたら。見えないところでじわじわと、精神的なダメージが社会に拡がって、人の心を蝕むようで恐怖を感じた。

 

感染症から命を守ることはもちろん最優先事項なのだけれど、先に人の精神が希望を失って絶望してしまったら、何にもならない。特に終わりの見えないトンネルの様な状況に置かれた時はなおさらだ。たとえ一つ一つはささやかでも、笑いや温もりや大切な相手との支え合いが、人には絶対的に必要だと私は身をもって知っている。

 

コロナだから、非常事態だから、何もかも自粛・不許可・全てを我慢して下さいでは、短期間なら乗り切れても長期化すると皆、疲弊してしまうだろう。

何らかの知恵を一人一人が出し合って乗り切る事が出来ないか?日々模索している。

 

ようやく日常生活が戻り始めた矢先、若くて才能に溢れた一人の俳優が自死を選んだ。特別にファンという訳ではなかったが、好きな役者さんで映画やドラマも見ていたから、予想以上にショックを受けてしまった。今もまだ、彼の喪失がじわじわと胸を痛め続けている。

 

彼がどのような人物で何を抱えていたか等知る由もないが、映像を見たり彼の談話を聞いていると、どこか私と同じく双極性を抱えていた人物の様に思えてならない。

良くも悪くも振り幅の大きい人だったのかも知れないと感じた。

俳優や作家、画家などには双極性を抱える人が多数存在するからだ。素晴らしい創造性の源になると同時に、そのパワーが負の方向へ何らかのきっかけで向かうと悲劇になる。

彼が年齢を重ねるごとに深みと色気を増し、素晴らしい俳優になっていかれる姿をこれからも見せて欲しかった。ただただ惜しくて残念で哀しくてならない。合掌。

 

余り気分が滅入る話ばかりを書きたくはないので、安楽死を選んだALS患者の女性については、次回にゆっくり書きたいと思う。

 

今のところ路頭に迷わない程度には生活出来ているし、息子も健康で猫も可愛い。

気分が滅入って仕方ない時もあるが、日々の中に笑いや楽しみもある。

食べ物を美味しいと感じられるし、安心して眠れる家がある。

夏の暑さと湿気は苦手だが、体調は大崩れを起こさず、毎日をまあまあの状態で過ごせている。

 

先の事は分からないし、思い悩んでも解決しない。どうしようもない時は睡眠薬を飲んで寝てしまうことにしている。現実逃避と言われようが、得意の妄想力をフルに発揮して今日も一日を無事に乗り切れたことに感謝!

 

明日から8月。大切な人と約束した琵琶湖岸に咲く向日葵を、どうか一緒に見に行けますようにと願う。

 

私の拙いブログをいつも読んで下さる皆様も、どうか今日一日を大切に。

どうかお元気でいて下さい!

 

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我が家の癒し系♪

 

2020年の初春によせて~一歩前進を決断

 

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彩雲(荒木健太郎氏撮影)

息子は大学受験。もうじき新たな一歩を踏み出す。私はここから何を生み出せるだろうか?

 

息子は先日センター試験を終えてほっと一息ついたのも束の間、次に迫りくる二次試験準備と私大受験の本番に向けて、また勉強漬けの日々を過ごしている。

 

親である私までもが、予想以上にセンター試験直前になると緊張してしまった。

本人のプレッシャーをせめて自宅では緩めてやろうと、すぐに動かなくなる体にタウリンやらカフェインやら鎮痛剤やらを毎日注入し、出来る限りの応援はしたつもりだ。

後でそのツケ(反動)が来て、試験終了翌日はほぼ一日中寝込んだが(笑)。

 

勝運の神様を祀る神社に合格祈願の絵馬を奉納し、御守を授かって来る為に久々の遠出をした。車で往復約80分。険しい山の上に本殿があり、中腹まで車で上がったが、そこからでも200段以上ある参道を、ゆっくりと休みながら登り切った。

息子の為ならえ~んやこ~ら!である。

自分の為にはなかなかここまでは出来ない。子供とは本当に大いなる生の原動力だと改めて実感する。

 

でも今回は合格祈願の為だけでなく、私自身が心身を整えて一歩ずつ、成し遂げたい希望に向けて挫けず進んで行けるよう、心の底から手を合わせて祈願してきた。

 

薬の種類と量は徐々に減らし始めた。まだまだ体調の波はあり、心身もすぐ不安定になる。でも、もう後戻りはしたくない。

 

昨年末まで抗うつ薬アナフラニールを、何年も服用継続しているデパケン(パルプロ酸)と共に使用していた。最近になって少し体調が安定してきたので、思い切ってアナフラニールを止めた。効果以上に副作用の方が多いと感じた為でもある。

もともと主治医の先生も、最終的にはデパケンと頓服薬として精神安定剤ワイパックス)+睡眠導入剤で、体調を良好に維持させようとのお考えだった。

先生と相談しながら、何とか今後は最低限の服薬量で症状や障害のコントロールをしながら、徐々に日常生活で出来ることを増やし、体力作りを始め、いずれはパートタイムで良いから無理しない範囲の仕事へ復帰したいと願っている。

 

不安が無い訳がなく、はっきりいって不安だらけだ。

身体はポンコツであちこち壊れ、ほんの少し負荷を増やしただけで動けなくなる。

脳内の状態もお世辞にも良好とは言えない。記憶力・注意力・判断力は確実に落ちているし、何よりも気力を維持することが一番難しい。調子に乗ってやり過ぎると、すぐに萎えてしまう。

情けなくて腹立たしくて泣きたくなる時も多いが、意識的にプラスの側面へより光を当てていこうと、認知療法的?な感じで最近は日々出来たこと(どんな些細な事でもOK)、嬉しかったこと、楽しかったこと、感謝したいこと等、自分で書いて読み返すようにしている。

自分が笑顔になれて、脳が喜びを感じる回路を、筋トレのように徐々に強化していく試みである。

嫌なニュースや気が滅入る映像や話題は、なるべく遠ざけて見ないよう聞かないようにする。元気で健康ならば平気なのだが、今はネガティブな回路を可能な限り刺激したくない。情報の取捨選択が大事だと思う。

うつの時には最悪の事態ばかり考え、悲観的な情報ばかり無意識に集めがちだからだ。

 

その点私には、天然の笑いの神である息子の存在が本当にありがたい!

沼に落ちそうな私を引き上げてくれるし、いつもちょっとした笑いやユーモアや、くだらない話などで、私の気分を変えて笑わせてくれる。

毎日手を合わせて伏し拝みたい、私が心から信仰する笑神様である♪( *´艸`)

 

泣いてもいい。倒れてもいい。それでも何度も起き上がって、最後の最期には笑っていたい。

 

『私は、多くのことができるように健康を求めた。すると、病弱な体が与えられた。より良いことができるように』

CFSを抱えて生きる」ミミさんのブログより、この言葉を引用させて頂いて今回は終わりにしたい。

 

この言葉を、ずっと心の支えにさせて頂いている。ミミさん、有難うございます。

 

今日一日を、平穏に、心身共に健康に、大切な人と過ごせることは奇跡です。

どうか当たり前と思わずに、今自らの傍らに寄り添ってくれる人を大切にして、己も含めたあらゆる人の未熟さ愚かさをも受け止めて、自他共に労わりあい感謝の言葉を伝えて下さい。失ってからでは遅いのです。

日々をただただ大切に、今ここにある幸いだけに目を向けて、今日もこれからの日々も、生き抜きましょう。ご一緒に。

 

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18歳の夏を過ごす息子と30年前の私

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フォークストン(イギリス・ケント州)

息子が過ごしている、かけがえのない18歳の夏。ある曲を聴きながら、自分の高校生時代を振り返って、大切な事を思い出した。

連日の酷暑の中を、息子は受験勉強で連日高校での補講、塾での講習で疲れ切ってはいるが、その間にも友人と花火大会に行ったり、ついでにカラオケで歌ったりして、上手くストレス発散しながら、夏休みを満喫しているようだ。

 

一度しかない18歳の夏。高校生という時間。自分なりに何か大切なものを見つけて掴んで欲しいと願っている。

そんな息子の姿にも触発されて、今日は病気や障害の日々の話ではなく、自分が若くて元気で生き生きとエネルギーを発散させながら生きていた時のことを、少し書きたいと思う。

 

ONE OK ROCKの「WE ARE~18祭」を動画で久々に見て、18歳の若者達の情熱溢れる合唱に心を揺さぶられ、自分の17歳の夏を思い出した。

英語が好きで、十代の内に何としても一度語学留学に行きたくて。短期でいいからとお金をこつこつ貯め、本で調べ(当時はインターネットなどという素晴らしく便利なシステムは無かったのだ…)、費用が安くて安全でなるべく日本人がいない語学学校を探した。

 

両親から反対されないよう、説得材料を完璧に準備して有無を言わせずここへ夏休みの4週間だけ行きたい!と、親を圧倒して希望を叶えた。

日本国内でさえ一人旅などしたこともない私が、生まれて初めての海外旅行を一人で、しかも当時はまだ英語もほとんど話せなかったので、まさに大冒険だった。

両親は最終的に良く行かせてくれたと、今でも感謝している。

 

留学手続は仲介機関を利用したが、現地のステイ先へは行き方を聞いて単独で辿り着いた。当時はソ連なる国がまだ存在し、欧州へ行くには北回り・南回りなる2種類の行き方があった。

なるべく費用を安く抑えたかったので、キャセイパシフィック航空の南回り便で18時間位かけてイギリスのガトウィック空港まで到着した。

途中の香港で乗り換え、バーレーンにトランジット経由し、アルプスを眼下に飛び越えて、ようやくついた初めての異国の地で、私は不安よりもワクワクしていた。

 

生まれて初めて「外」から日本を見た。イギリスに来たのに、イギリス人じゃない多様な国からの留学生達と出会った。

ルームメイトは15歳のスペイン人の女の子だった。モデルみたいにスタイルが良くて大人びていて、キャメルのタバコを吸い、耳にはピアスがきらめいていた。

別室には年上のスイス人(フランス語話者)がいた。

 

欧米各国だけでなく、中東からの留学生も多かった。どうやら申込んだコースが「サマーバケーションスクール」だったので、みんな「夏休みのバカンス+αでまあついでに英語もやっとこか」程度で参加していたようだ。「来年も来る?」とかお気軽に問われて、返答に詰まった事を鮮明に覚えている(あの頃1£=何円だったろうか…少なくとも2百円は越えていた)

 

極東の島国からなけなしの貯金をはたいて、決死の覚悟で参加している日本人なんて、彼らには理解の外だったろう。でも本当に楽しくて有意義な経験をいっぱいさせてもらった。この経験のおかげでスペイン語にも興味を持って、第2外国語で専攻した。

 

キラキラ輝いていた17歳の自分を思い出し、自分にそれだけのことをやってのけるエネルギーがあったのだということを、誇らしく思った。

今はもう、あの当時と同じ体力気力は持てない。でも。

 

やっぱり私が私らしく生きたいと願った、あの17歳の忘れられない夏が今でも私の原点。私を否応なく縛る家族・学校・社会規範・同調圧力等から逃れて、全く違う世界で全く違う言語と価値観を持つ人達に囲まれて、必死に英語で聞いて話して、いかに自分の置かれた世界がちっぽけかと実感したことを、私は今でも忘れない。

 

せめて精神の在り方だけでも、あの頃の原点に戻って、これからは一歩ずつ進んでいきたいと思う。身体の方は、なかなかついてこないけれど。

 

夏はあまり好きじゃない。でも最高の夏を経験した思い出は消えない。

今年も夏を迎えられたことに感謝!

人生の断捨離とリセット

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琵琶湖の朝焼け

別居して2年。正式離婚から4ヶ月が経ちました。

息子と猫との2人+1匹暮らしにもすっかり慣れ、基本的には穏やかでゆっくりした時間を過ごせています。

とはいえ、息子は高校3年生。大学受験に向けて課題が山積みの夏休みに突入し、夜遅くまで机に向かっています。

何といっても一番厳しいのは経済面!離婚したことで、障害年金の「夫」の加算額が無くなって来月から減額されますし、息子の受験に関わる費用全般もかなりの負担増で、とうとう余剰分の貯蓄はほぼ、底を尽きかけているといった状態です。

 

私の体調と精神状態は日によって、一日の中でも時間帯によって、振れ幅が大きく変動します。調子に乗って呟いたり、いつもは出来ない家事やPC作業をやり過ぎたり、ちょっと外出して用事を片づけたりするだけで、後になって時間差でどーーーん!とエネルギーがダウンし、尋常でない眠気に襲われて眠り込んでしまうことも多々あったりします...。

 

薬の変更と担当医(病院)を変更するかどうかの選択

 

メインの薬であるデパケン(パルプロ酸)に加えて処方されていた抗うつ薬が、『SNRIイフェクサーから、NaSSAのミルタザピン(リフレックス)に変更』されました。イフェクサーは一切服薬を止め、ミルタザピンに切り替えて、まずは一番少量から服薬を開始。

体質に合うか、副作用は出ないか等、慎重に様子を見ているところなのですが、尋常じゃない眠気に襲われて過眠気味になったり、左脚が急に足首がパンパンになる程浮腫み出したり、右足も少し浮腫んで甲に水疱ができたりと、ちょっと心配です。

 

全てが副作用のせいかどうかは分かりませんが、血圧も上昇するようで、元々高血圧の薬を常用している私は、服用後気分が悪くなったりもした為ちょっと継続するのが怖くなって、次の診察まで一旦新薬の服用はストップしています。

もしくは1錠を半分に割って飲んでみたりもしています。

 

デパケンを朝食後に2錠(100㎎×2)と、ワイパックスを0.5㎎服用し、ミルタザピンに代えて夕食後にデパケンを1錠(+ミルタザピン半錠の日も)追加服用。「加味逍遙散」を毎食前に一包。頭痛が酷かったり、心身が余りにも動かない、働かない時には鎮痛剤(市販薬)やワイパックスを頓服的に使用。これで無理しなければ、ある程度の体調維持(低空飛行ではありますが・・・)が出来るのではないかと、検証中です。

 

ミルタザピンの副作用としての強烈な眠気は、だいたい服用から3日程度で収まる事が多いとネット情報では出ていたりするのですが。

まあ、体質体調も異なりますし、併用する安定剤との飲み合わせや服薬量にも左右されるのかな?と、今は手探りで落ち着き所を探しながらやっています。

 

ちなみにサインバルタイフェクサーSNRIのお薬を服薬していた間、ずっと悩まされていたひどい便秘からは薬を止めてすぐに解放され、むしろ軟便が続いて困っていたりしています。

腸と脳は密接な関りがあり、免疫にも腸が深く影響しているという最新研究結果もあるようなので、体力の底上げと同時に「脳活」だけでなく「腸活」が大切と考え、玄米食その他色々と試しています。

 

また、個人的に思うところがあって、もう7年程お世話になっているクリニックから、別の病院と担当医への変更も一時は真剣に考え、実際に診察と説明を受けてきました。

 

若手の男性医師でしたが、初診ということもあり時間を取って丁寧に説明をして頂きました。現時点で私が受けられそうな療法(薬物治療以外)に関しても、知りたかったこと、疑問点など全て話してもらってすっきりしたことが、一番の収穫だったかも知れません。

 

今は従来の電気痙攣療法に加えて、TMS治療という磁気を利用した脳内への刺激療法が、大都市圏では始まっているようですが、保険診療適用外で一回の治療費が高価であることと、治療を受けて状態が良くなっても寛解状態が無条件で維持される訳ではない(薬物治療との併用、再発時には再度同治療が必要になる等)とのことでした。

 

私の場合は残念ながら、数年前に左椎骨の動脈解離と動脈瘤が形成された既往症の為、リスクを考えると、上記のような治療方法は推奨出来ないと言われました。

 

医者や薬が全てを治せる訳ではない。自分の治癒力上昇への一助と位置付けることが大事。

①出来る時に、出来る範囲の事を無理せず行い、出来なかったことを数えるのではなく、一つでも二つでも、出来たことを記録し、喜ぶこと。
②薬の効用、副作用にはどうしても個人差が出る。担当医と相談し、自分でも出来る限り調べ、最低量から慎重にスタートし、減薬も焦らずゆっくりやることが大事。

③毎日何か一つでもいいから、笑えることを探すこと。実際に声をあげて笑う事、大声で歌う、短時間でも外出することを心掛ける(うつ状態が最悪な時は無理しなくてもいい)。

④毎日好きな音楽を聴くこと。音楽好きの私には、結構これが良い薬になっている(これも音楽療法の一環か?)。もちろん一番状態が酷いときは音楽どころか、全ての音が耳障りになってしまうのだが...。

 

⑤家族関係・友人関係等、絶対的に繋がりを断ちたくない人のみに注力し、儀礼的あるいは惰性的に続いている関係は一旦リセットする覚悟を持つ。

自分と身近な家族相手にすら、注げるエネルギーが減少している現状では、余力を作っていく為にも多くを抱え込み過ぎないことが大事。

だが、取捨選択は非常に難しい。。。

 

一旦全ての重荷を降ろしてリセットすることを選択した以上、そのまま同じ状態を背負いなおしても無意味。今、自分が限られたことしか出来ない状態になったことを逆手に取り、「止む無く」人生や片付けられていない物や人間関係の断捨離を、ゆっくりぼちぼち、アリさんの歩みですが続けていこうと思っています。

 

連日猛暑ですので、アイスでも舐めながらボチボチと。

自分へのご褒美も忘れずに♪(*´▽`*)

これが一番大事ですね!

1歩進んで3歩下がる~♬・・・ってザリガニやんっ!後ろ向きに下がってるやんっ⁉って、息子と二人で笑いながらオリジナル365歩のマーチを実践する毎日なのでした。

 

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離婚が成立しました。季節は桜の咲く春へ。

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最後の最後まで迷った決断。でも前だけを向いて生きる為にリセットしました。

 

旦那と別居を開始してから、約1年と9か月。その間お互いに今後の家族の在り方や、これまでの関係性を見直す作業をしてきました。

 

ある時期は、もう一度やり直せるのではと思える日もありました。

しかし、冷静にこれまでの状況の推移と、今後も続く自分の障害(病気)との逃れられない格闘の日々を考えると、今の二人の状態では互いを支え切れず、共倒れになる危険性があると判断しました。

 

そして何よりも、4月から高3になり、受験を目前に控える息子の生活と精神の安定を、一番に考えてやりたい。ややこしい大人同士の揉め事を、これ以上長引かせて悪影響を与えたくなかったのです。

 離婚後の養育費など具体的な話はこれからです。自分の体調が持ってくれるかどうか、心もとない状態なのが一番の心配事です。

 

精神状態はこの8年弱で最悪。感情のコントロールが上手く出来ず、動けない日も。

 

通常の服薬に大きな変化はなく、イフェクサーSNRI)とデパケン(パルプロ酸)を中心に、不安感がまだまだ強いのでワイパックスを多めに処方してもらい、その時々の調子に応じて増減調整しています。

後は漢方薬の加味逍遙散や血圧の薬など。

 

 時々妙に衝動性というか、怒りや苛立ちがこみ上げてきて止められず、家の中で段ボールを破壊したり。些細な事で涙が止まらず、落ち込み、希死念慮が強まってしまうことも。その時々の体調や様子、抑えきれない気持ちをノートに書きなぐったりして、大体は気が収まるのですが、どうしようもない時は、薬を飲んで昼間でも寝てしまいます。全然食欲が湧かない時もあれば、気持ち悪い位過食気味の時も。
眠くて眠くて、何時間寝ても眠らずにいられない時もあります。

妙にテンション高くいられる時間はごく僅かで(それも服薬あっての一時的な気分上昇)、その後に返って反動から何も出来なくなってしまったりします。

 

40代も後半に差し掛かってくると、加齢のせいなのか、更年期障害なのか、それとも従来の病気や障害のせいなのか、もう何が何だか分からなくなってきます。

 

毎日常にどこかが痛み、どこかが不具合をきたし、少し状態が安定したかと思ったら、真逆の状態に落ち込む事の繰り返しで、以前よりも心身の状態の振れ幅が大きくなった気がします。

今は左肘が痛んで布巾も絞れない状態で、左腕全体が重だるく、肩から腕がドサッと千切れて落ちてしまいそうな感覚です。

レントゲンでは異常なし(相変わらず)なので、信頼できる先生のいる整骨院での施術と、最近は鍼を試してみています。

 

経済的に逼迫してきた事が、嫌でも不安と緊張感を高め、症状悪化に繋がっている気がします。

 

さすがに障害年金とこれまでの貯蓄だけでは、高校生の息子との2人暮らしを成り立たせるのは難しく、何度も可能な範囲で軽度のアルバイトやパートでの仕事を、近場で探しては試してみたのですが、どうしても体調が不安定で続けられないでいます。

昔はスーツを着て、名刺を持って、バリバリ責任ある仕事をこなしていたというのに、心底情けない話です。

 

夫は、別居を始めた(家を出て行った)のはお前達の方だから、別居期間中にかかった生活費及び養育費に関しては一切払わないし、払うお金もないというスタンスです。

それが嫌で困るならば、無条件降伏して家へ戻って来い、という態度です。

法律的には、婚姻中も離婚後も、家族の扶養義務は決して無くならないので、彼の発言は認められるものではないのですが、本人が納得して支払わないのであれば、裁判をするしかなくなってしまいます。

 

何はともあれ、息子の大学受験が無事に終わり、一人前に巣立っていくまでは、何としても今の暮らしと息子だけは守ろうと、固く決意をしているところです。

そのためにも、何とか心身が自由に動かせる力が、もう少しだけ欲しい。

日々祈る思いで眠りにつき、翌朝こそはましになっていることを期待して、動かない体と心を無理やり引きずり、薬で必死に底上げして安定させ、現実世界にギリギリ踏みとどまって対応しています。

 

弱り目に祟り目とはよく言ったもので、困難な時に限ってさらに弱った私を谷底へ追い落とすような出来事が襲ってきます。父や兄からの暴言(恐らく悪意はないのだろうが…)、信頼していた友人の手のひら返し、同級生や母替わりだった叔母の急死など・・・。

でも、困難な時だからこそ、暖かく支えてくれ、見守ってくれる友人や従妹たちもいます。どん底に落ちた時こそ、自分自身の人間性も、周囲の人間の本性も露わになり、試されている気がします。そう思えば、本当の味方が誰なのか、良く分かったという事で、かえって幸せなことかも知れませんね。

 

全国各地から、桜開花のニュースを耳にします。

日の出は早くなり、気温も太陽の暖かさも増してきました。

まだ寒の戻りはあり、気温差に自律神経が振り回される季節ではありますが、今年も列島中を薄桃色に染めながら、桜の花が咲き誇る姿を見られる事に感謝し、日向ぼっこに夢中な我が家の猫の、どんどん抜け始める冬毛と格闘しながら、一日を無事に過ごすことだけ考えて生きていきます。何事もぼちぼちが一番です!

 

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